【ハイパーリンクチャレンジ2015】今年、いちばん胸が熱くなった記事
いつも愛読している隠居系男子さんの記事にて、大変面白そうな企画を拝見しました。
参加したいなとは思っていたものの、バトンを回す人もおらず、このような野良ブロガーが書いて良いものかと思っておりました。
すると、ライターの長谷川賢人さんがそっと背中を押して下さいました。
@nononakahinonak 検索から失礼します。ぜひぜひ!バトンは「この人の読んでみたい!」っていう気持ちでも!(もちろん、回さずともOKです)
— 長谷川賢人 (@hasex) 2015, 11月 30
ありがたや...やらせていただきます!
【ハイパーリンクチャレンジ2015】とは
概要はこちら。詳しくは隠居系男子さんの記事内容をご覧下さればと。
【概要】
- その年(前年12月〜本年11月)までに公開されたウェブコンテンツから印象に残った記事を2本だけピックアップする。1本は自らが執筆・制作に関わった記事、もう1本は他媒体で公開された記事とする。
- 参加者はそれぞれの記事を選んだ理由を、ブログやSNS等にまとめて発表する。選考した理由もあることが望ましい。また、次にチャレンジを受けてもらいたい人物、印象に残った記事を聞いてみたい人物も2人〜3人程度指名する。
- 記事制作後、次のハッシュタグを付けてTwitterにて報告ポストを投稿する →#HyperlinkChallenge2015 #孫まで届け
- なお、「孫まで届け」には、いずれ日本のソーシャルヒーロー孫正義さんまで参加してくれたら嬉しい、孫の代まで読まれていきたい、参加していただいた方に“ソン”はさせない、という気持ちが込められている。
- 投票は、12月20日を持って集計〆切とする。
つまり、今年。2015年でいちばん面白かった記事を紹介していくというもの。
このブログを解説したのをきっかけに、これまでよりずっと、色々な記事を読むようになりました。
自分が書くようになると、読み方って変わるんですね。同じ景色を見てるのに、どうしてこんなに素晴らしい記事が書けるんだ。この人はどんなチューナーを持ってるんだ。どんなペン先をしているんだ。どんなレンズで切り取ったんだ、と。
私も皆さんの面白い記事が読みたいよぅ!
私が選んだ「今年いちばん面白かった記事」
私はこのブログ以外にWeb上で記事の執筆や編集に携わっていないので、他媒体の印象に残った記事を2本だけ紹介させていただきます...ちょっとルールからズレていてすみません...
記事の感想というよりは、そこから自分が想起したことやインスピレーションを書き殴るような紹介記事になってしまいました。
メレ山メレ子さんの描く、旅と死
ひとつめ、迷わず選びました。こちらです。
メメントモリ・ジャーニー - 生者と死者の島 | ウェブマガジン「あき地」
ブログ、メレンゲが腐るほど恋したい を運営されているメレ山メレ子さんが亜紀書房で始めたWeb連載。メメントモリ・ジャーニーというタイトル通り、旅と死にまつわる連載です。もうこのテーマだけでビリビリに痺れているのですが。
現在までに連載は第8回まであるのですが、私はこの第2回の「生者と死者の島」が大好きすぎるのです。眠れない夜更け、翌朝までの有り余る暗がりの中や、退屈な仕事の合間、上司の目を隠れて覗いたPCの画面の中で、何度夢中になって読んだことか。
いつの間にか、お気に入りの墓を探していた。特に古そうな、岩の斜面と珊瑚石の石組みが同化した墓。草花に囲まれ、岩のわずかな隙間に根を張る黄色い花を飾りにまとっていてかっこいい。さいはての島の終点にふさわしい気がした。ここ数日感じていた焦りや苛立ち、寂しさが、消えるのではなく居場所を得たように思え、気持ちが平らかになっていく。
祖納の集落に貼られていた葬儀のお知らせに、数十名を超える親族の名前が書き連ねてあったことを思い出す。こういう立派なお墓に入るのは、一生をかけて地縁血縁と向き合ってきた人たちだろう。実家のお墓への墓参りなど、もう何年もしていない。わたしはどこで、どんなお墓に入るのだろうか。
私も旅は好きな方なのですが、この文章を読んでしまうとホント絶望させられます。大いなる意味を持って向かった旅先でさえ、私が触れる景色は右から左へ流れてしまう「情報」でしかなかったのだと。自分のために生きて、自分のために旅に出たはずなのに。
自分の細やかな感情の動きを丁寧に汲み取る姿勢に加え、メレ山さんの文章は、消費者、鑑賞者、旅行者としての視点が全くぶれていないから好きです。その土地の歴史の上澄みを通り過ぎてしまうことや、文化をつまみ食いしてしまうことに、何の大義名分も立てていない。旅行者としての罪悪感を吐露しつつも、その気持ちを抱く資格すら自分にあるのか?と問いかける姿がたまらない。
個人的に、アートでも何でも自分が「良い作品」と思う基準として、その作品に触れると自分の中から様々なイメージやアイデアや思い出が、鉄砲水のように押し寄せることが挙げられます。
この記事を読んでいちばん最初に思い出したのは、以前東京を訪れた際に何気なく立ち寄った、とある展覧会のことでした。場所は渋谷。そこで、日本各地の名産、隠れた名品、工芸品、食...各都道府県から様々なものが一堂に集められていました。
汚い言葉なのだけど、正直、吐きそうなほど、胸くそが悪かったのです。私たちが地方で育んだ文化や生活の一部が、大都会TOKYOで見せ物となり、目の前で消費されているのが苦しくて、見ていられなかった。私たちはあんた方の見せ物じゃない。良い気になるなよ、発見したつもりになってんじゃないよ、と。
そしてその後、怖くなりました。どうして私はこんなに不快になってしまったのか、考えても分かりませんでした。そして怒りの矛先は自分へと向かいました。お前こそ何様なの?代表者のつもり?そんなこと言える資格あるの?それを言うんだったら、お前は自分の地域のために何をしたの?
答えはまだ出ていません。私のあの気持ちは何だったのか。そして今日まで、その気持ちと向き合おうとしなかったのはなぜか。どうしてこの気持ちを恐れてしまったのか。旅って何だろう。文化を消費するって何だろう。
わからない。ただ、わからないなりに、安易に答えを出さないようにしようと決めました。もっともらしい名前をつけないようにしよう。考え続け、見つめ続けることを止めないこと。メレ山さんの好奇心と、自分を制御する謙虚さを併せ持つ視点から、いつも学んでいるのです。
もかまっちゃさんの描く、青春と涙
そしてもうひとつ、この記事は外せません。
モーニング娘。'15の『青春小僧が泣いている』という楽曲。アナザーバージョンとして、渋江修平監督が手がけられたMVがあります。こちらの記事はその映像を解釈されたものです。ホントにもうね、モーニング娘。のファンじゃなくても是非読んでほしい。MVを見てからこの記事を読んでほしい。
愛を持って楽曲を託すつんく♂さんがいて、全身全霊でパフォーマンスをするモーニング娘。'15がいて、そのメッセージを余すこと無く映像化した渋江監督がいて、その熱量を全力で受け止めるファンがいる。ものづくりのプラスの連鎖がここにあるなと思ったのです。
で、この記事を読んで吹き出た自分の鉄砲水は、意外にも、よく観戦に向かう北海道日本ハムファイターズのことだったんですよね。
日ハムのファンは女性が多いという話をよく聞きます。他球場と比べたことは無いのですが、試合を見に行くと男性ファンより多いんじゃないかと思う瞬間があります。 年代としては主に主婦層かな?お年寄りも多いし、同じ年代の方々が手作りのカラフルな応援ボードやユニフォームを纏って、本当に楽しそうに応援しています。まるでアイドルのコンサートのよう。
もちろん、この傾向をよく思わない人だっているでしょう。私はファンが何を応援すべきか、どういうスタイルで観戦すべきか、という議論にあまり興味は無いですし、別にそれは誰が決めることでもないと思うのですが。ただ、私自身楽しくドームに通っていてふと思ったのは、ああ、自分はゲームとしての「観戦」をしたいだけではなくて、選手を見守って、「応援」したいのかもな、ということでした。
ハローの世界にいると、とかく「プロ意識」という言葉に意識を持っていかれますが、今の若い彼女たちの感性を燃やすことでにじみ出てくる素の表情は、それはまた若いチームだからこその個性であり武器になります。
もし彼女たちが実感する思いをステージで表現できたら、きっと物凄い説得力を持って観客に伝えられるはずです。 そういった若さゆえの力を、つんく♂Pは「青春」という言葉で表現しているような気がします。
日ハムは若いチームです。フロントの思惑と事情と方針で、中堅層やベテランが次々とチームを去ったこともあって、続々と若い選手が実践の中で育っていきます。それを良しとするからこそ、栗山監督は今のチーム力で今季2位でいられたのでしょう。モチベーターとして非常に優秀で、野球に対する想いを非常に重視されていらっしゃいますから。
結果が必要なのはもちろんだけど、勝ちにこだわり全力を尽くす姿勢を見せよ。攻めよ、積極的に白球を追え。若い選手に求められるのはとにかくそれ。ドームの青く固い芝を駆け回る選手たちに、非常にシンパシーを感じました。私の住む世界とは全く違えど、彼らもまた成長の最中なのだと。
だからこそ、若い選手の苦悩と葛藤を本当にすぐ近くで見ることがあります。たったひとつのエラーで流れを悪い方へ変えた試合、定まらないコントロールで自滅した試合、大事な場面で決められずに終わった試合。ベンチでうなだれて泣く姿や、自分への怒りを露にする姿を見かけたことも。
プロ野球選手でありながら、彼らの「今」はまさに青春なんだなと思いました。
行動することに意味がある時期があります。
プロだから「結果」が求められる。でも、そうであっても、一回きりの青春の真っ最中にある今の彼女たちには、もし正解に至らなくても、闇雲に取り組む「過程」を経て、そこから何かを知ってほしい。そんな親心が込められているように思うのです。
最近のインタビューで分かってきたことですが、いよいよ新体制の春ツアーが始まるという初日、出番直前の「しょい!」の掛け声を終えてもメンバーが泣いていたといいます。いよいよ待ったなしとなった極限のプレッシャーに震える中、彼女たちは「第二の父」のいたわりに甘えさせてもらったのかもしれません。
ここを最後に、舞台で泣かないように、歌うことや踊ることに怖がらないように。どんな舞台も、常ならぬ一回きりのものだから。
自分で考えて、動いて、チャンスを積極的につかみ取りにいかないと出番は無い世界。一度のミスが明日の打席を奪うかもしれない緊張感の中で、それでも立ち上がることを求められる世界。そこで生きる彼らを応援したいのです。
恐れず打席に立て、振りにいけ、走れ、一歩前へ手を伸ばせ。
私や、ファンは何を見つめているのでしょう。 野球少年団で奮闘する孫が、初めて試合に出た子どもが、伴侶の青春時代が、自分の諦めた夢がそこにあるのでしょうか。
結果が全ての世界でも、自分に負けないで。何度泣いても良いから、恐れないで。私のこの気持ちは誰に向かっているのでしょうか。
ただひとつ、自分の中の確信として言えるのは、短い野球人生を全うしようとする彼らの姿に青春を感じますし、日々の練習の成果とともに、彼らの若さも危うさも熱さも悲しみも全部試合の中で出してほしいなと思う。ただそれだけです。
青春小僧が今日も泣いている。これが最後って、今日も泣いている。その姿をこうやって見つめ続けるのです。
そんなことを考えさせてくれた、とても大事な記事でした。
最後に
何だか気持ち悪い独りよがりなラブレターのようになってしまいました。申し訳ないです。想いは込めました。すごく感化されて刺激を受けた記事でしたので、来年以降、自分ももっと精進していきたいなと改めて思います。野良ブロガーですが。
次にこのハイパーリンクチャレンジを回したい人?3人?むむむ。まず、今回ご紹介させていただいた、メレ山メレ子さんともかまっちゃさんの記事が...とても...ぜひ...読みたいです。あと、特にバトンを回されなくても今年の振り返りの意味も込めて、色んな人に挑戦してほしいなと思います。
そして、届くといいな!という淡い気持ちを込めて、大好きな漫画家のカレー沢薫先生で。漫画ももちろん面白いのですが、エッセイやコラムが最高です。大好きです。
最後に、大好きなカレー沢薫先生の記事をご紹介して終わります。
つまり我々の老後は、贅沢していたら死ぬ、普通にしていても死ぬ、何か起こったら死ぬ、というDead or DEAD or Die、モヒカン頭の悪漢がジープで走り回ってなくても、かなり世紀末な世界観となる。
Dead or DEAD or Die!!!YEAH!!
また次回。