うれしく、なつかしい日々

 

札幌はめっきり冬です、野火です。

 

「あなたにとっての”理想の暮らし”とは何ですか?」

 

雑誌をぱらぱらとめくっていて見出しに踊っていた問いかけ。
妙に気になって、料理をしている時も、通勤途中も、仕事中も、ぼんやりと考えてしまいました。

そして出たひとつの答えが、「うれしく、なつかしい日々をおくること」でした。

 

 うれしく、なつかしい日々

 「なつかしさ」は、私が生きていくうえで必要な要素で、自分の中で「この景色、この雰囲気がなつかしく思えるってことは、きっとこれは自分にとってすごく良いことなんだ」という、一種の判断基準にもなっています。

たとえば、吉野弘の「祝婚歌」にこんな一節があります。

健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

吉野弘祝婚歌

 

 吉野弘のこの詩、結婚式の祝辞でよく聞くのですが、いつも自動的に涙があふれてきます。
「生きていることのなつかしさ」、わかる、わかるよ…でも、こんな言葉で説明しにくい感覚を自分だけじゃなくて他の人と共有できたらもっと幸せだよね…なんて。

 

私は、子供の頃から世界に漠然とした郷愁を覚えていた。
この世界が 、時間的にも空間的にも永遠に循環しているという感覚に、ずっと支配され続けていた。
それは誰の夢だったのだろう。色のついた眩暈。夕方四時から始まる「ローハイド」の再放送。日本アルプスの残照。
それは、私の夢。子供の頃からずっと見続けていた、過去へと還る旅。

目を閉じれば、懐かしい記憶が蘇る。これも私の夢。
夕暮れの野原の真ん中を歩いていく記憶。オレンジ色の光の中を、私はいつまでも歩いていく。隣には誰かがいる。あれは、誰だっただろう?冬の晴天。木造家屋の二階から、庭に咲く白い梅の花を見下ろす記憶。
あの時も、隣に誰かがいた。あれは、別の人だったのだろうか?
いくつもの記憶。世界は循環する。歴史も、空間も。回り続ける世界の隙間に紛れ込んでいく。私もいつか、記憶の中の世界へ還っていく。
通勤の道の途中に、一人食べる夕飯の茶碗の中に、映画館から出た寒い帰り道の地下鉄の入り口に、ふと忘れていた懐かしい人影が見えるような気がする。
どうすればいいのだろう。私はそこに何を見つければいいのだろう。
暖かい闇の中で、私は目を閉じて考える。

恩田陸「三月は深き紅の淵を」

恩田陸のこの一節もドンピシャです。私にとっての良い人生とは、なつかしさの連続であることです。

それは、幼い頃に家族と過ごした記憶からくるものか、それとも私が生まれる前か、個人に依らず人類共通のノスタルジーなのか。

いずれにせよ、自分の感情が強く動き、揺さぶられるその瞬間。涙があふれてしまうのは、すべて郷愁のせい。なつかしくて、うれしい、というその気持ちだということに間違いはありません。自分の命が終わるときも「あーこの感じ、なつかしいなぁ」と思って死ねたら最高です。

 

 今の暮らし、これからの暮らし

結婚して、自分の心持に何か変化が起きるかなと思っていたのですが、相変わらず自信がない日々は続いています。
ただ、辛いときに支えてくれる人がいる頼もしさ、この人たちのためにももう一度起き上がらなければと思わせてくれる有難さ、そういうものを噛みしめる場面を迎えるたびに、少しずつ成長しているのかなと考えています。

 

実は、結婚すると同時に、一人の子の母親になりました。可愛い小学生です。
私は相変わらずこんなんだし、私に母親になる資格などあるのかと、今も迷い続けています。

でも、夫に言われました。

「君が、好きなことに夢中になっていたり、誰かを心から応援していたり、仕事に趣味に頑張っている姿を、ずっとこの子に見せ続けてあげて。そうしたら、少しは生きることや大人になることが、楽しくて楽しみになるでしょ」
「それから、家族を持っても自分のやりたいことは我慢しないで。君が夢を持って歩いている姿が、それだけで手本になるんだから」

うれしかった。ありがとう、その通りだねと笑った。
この子のためにも、少しでも、自分の心の灯を吹き消そうとする突風を護る壁を築き、向かい打つ風を吹かせながら生きたいと思っています。

 

そんな日々の中でも、なつかしさを感じる瞬間はあります。

宿題が終わらなくて焦って取り組んでいる午後九時の子の背中。
冬の朝、寒い寒いと腕をこすりながらストーブに火を点ける夫の横顔。
そんな二人と手をつなぎながら歩く札幌の街並み。

日々の一つ一つが、なつかしくて、うれしくて、切なくて。

生きることは、こんなにもなつかしくて愛おしいものなんだと。

家族との暮らしは楽しいことばかりじゃないけれど、迷ったときや苦しいときは、よりなつかしい方へ、切ない方へ舵を切れば、その先に待つ未来はきっとうれしいはずだと、信じてやっていくしかないような気がしています。

 

今、前職の時には想像もできなかった未来の中に生きていて。
仕事でもチャンスをもらっているし、ここが踏ん張り時だと思っている。
ちゃんと考えて、戦略を立てて、行きたいところに行ける強い足を持った自分になりたいと、心から思っている。

自分のことしか考えていなくてごめん。家族のためにと思って生きているけど、色々空回りしちゃってごめん。

でも後悔はさせないから。

 

明日の夕飯何しようかね?
行きたがっていた空手教室、そろそろ決めなきゃね。
今日の宿題は終わった?

生まれる前も、昨日も、今日も、明日も、すべてが終わった後も。

これからも、どうかよろしくね。

 

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